2016年 01月 21日
父の畑
昨年の夏、父が他界しました。
肺がんが見つかって、お医者さまから余命の宣告を受けたのが、一昨年の夏の日の事。
それからは入院と退院を繰り返し、体からも心からも少しずつ父らしさが薄れていき、そしてあの暑い日に静かに静かに父は逝きました。
天性の明るさで生ききった父。
そんな父と、なんとなく照れてしみじみと語り合う時間を最期まで持ちそびれてしまった私。
へそ曲がりで意地っ張りの私は、今やっと父と素直に語れるのです。
父の畑に立ち、堆肥のたっぷりすき込まれた肥沃な黒い土や、随分なだらかになってしまった長い畝や、どこからかヒョッコリ現れる掘り残しの小さなじゃがいもに向かって。
「お父ちゃん、いい人生やったよ、うん、良かったよ」と。
「お父ちゃん、私、結構楽しかったよ」と。
今、父の畑は、姉の手によって少しずつ蘇ってきています。小学校での朝顔の種まき以来、おそらく土なんて触った事がないだろう姉が、小さな婦人用の鍬を買い、コツコツ耕し、種まきをして、そして先日は、大根を収穫して持って来てくれました。もう笑ってしまうくらいの細い可憐な大根でしたが、嬉しくて、思わず写真に撮りました。
父の畑で、姉もまた、父と言葉を交わしているのでしょうか。
by omphalodes
| 2016-01-21 23:04
| 畑
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